- ときどきYOUTUBEで動画を見ます。動画のテーマは神様について日本人がどう思うかです。とくに、若い人に聞きます。たいてい、若い人は神様を信じないと答えます。その理由は、神様が存在する証拠がないから、ということです。では、信じている私たちはおかしいのでしょうか。私たちは過去に生きていて、新しい時代に適応できていないのでしょうか。
- 今日の福音では、復活したイエス様が弟子たちの前に現われました。しかし、トマスはそこにいませんでした。弟子たちがトマスに、復活したイエス様を見たと言ったとき、彼は「あの方の手に釘の跡を見なければ、私は決して信じない」と言いました。トマスはYOUTUBEの若い人のように証拠を求めました。
- 八日の後、再び復活したイエス様が現われて、トマスはイエス様を見ました。トマスは指を釘跡に入れて、「私の主、私の神よ」と言いました。トマスは見たので、信じました。しかし、イエス様は「見ないのに信じる人は、幸いである」と言われました。私たちは指を釘跡に入れていませんが、イエス様を信じて彼が復活したと言います。どうしてでしょうか。
- YOUTUBEの若者たちは証拠を求めます。それは間違ではありません。トマスもそうしました。問題はこの若者たちが、神様が存在することを数式で証明してくれる科学者や、トマスのように復活したイエス様が自分たちの前に現れることを待っていることです。しかし、それはおそらく起こりません。人生において当たり前なことはほとんどありません。そして、復活したイエス様を信じることは当たり前のことではありません。
- それでは、どうして私たちは信じるのでしょうか。私たちが信じるのはトマスのように「私たちは主を見た」と聞いたからです。私たちの信仰は、見た人の証言にかかっています。私たちは見たいのですが、見ていないのです。私たちは見た人の証言を聞いたのです。そして、これは「おかしなこと」でも、「過去のこと」でもありません。これは常に現在のことで、しかも妥当なものです。毎日、いつも私たちは見たことのないことの証言を耳にしていますよ。そして、これらが事実であったと考えるのが合理的です。テレビのニュースから両親の子供時代の話まで。
- ですから、安心してください。私たちはおかしくないし、過去に生きているわけでもありません。私たちクリスチャンは現在を生きていて、歴史上の最も重要な証を受けて、祝福されています。「イエスキリストは復活されました」。そして、私たちの心の奥底にある願いや憧れの完全で最終的な答えはイエスキリストなのです。





