Published On: 22 de mayo de 20240 words0 min read
  • 数年前、私はガンを(わずら)っているシスターに会いました。私は動画を撮るために彼女にインタビューしたいと思い、電話で話しました。会話の終わりに、私は彼女に「シスター、また土曜日に」と言いました。すると、彼女は「主の御心であれば」と答えました。
  • スペイン語ではこの表現はとてもよく使われ、使わなくても誰でも知っています。私も何度も聞いたことがあります。しかし、そのシスターがこの言葉を言ったとき、それは別の意味で心に(ひび)きました。彼女が病気であるということが、その言葉に今までに聞いたことのない深みを与えました。
  • そのシスターは、私たちが神様の御手(みて)の中にあることを分からせてくれました。人生は神様からの(おく)り物であることをより深く認識(にんしき)しました。そして、神様が私のために計画を持っておられることも理解しました。
  • だからこそ、第一朗読で使徒ヤコブは「主の御心であれば、生き(なが)らえて、あのことやこのことをしよう」と言いました。
  • 私たちは神様の御手の中にあることを自覚(じかく)しているでしょうか?主の御心であれば、私は生き永らえて、日本語を学びたいと思います。へへへへ

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