Published On: 21 de junio de 20240 words0 min read
  • 今日の福音書は、英語でプロビデンスと言われる「摂理せつり」について語られています。この「摂理」の「摂」という最初の漢字は身代みがわりのもの、代理のものを意味します。そして二番目の漢字の「理」はろん理を意味します。つまり、「摂理」とは「身代わりの論理」、つまり、自分自身のものではなく、他者から受け取ったものという意味になります。だからこそ、この言葉はその起源きげんから、自然の法則ほうそくす言葉として使われてきたのです。自然の法則はわたしたち自身のものではなく、宇宙うちゅう創造そうぞうしたお方から受け取ったものなのです。
  • しかし、この「自然の法則」という意味は、「摂理」という言葉を純粋じゅんすい物理学者ぶつりがくしゃ的な意味で解釈かいしゃくすることにつながります。しかし、今日の福音書でイエス様が語るように、神様の摂理は自然の法則に支配しはいされているだけでなく、神様の愛にも支配されています。「の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、つむぎもしない。しかし、言っておく。栄華えいがきわめたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾きかざってはいなかった」。
  • この言葉を正しく理解することは、神様への信頼にちた人生を送る助けとなります。この言葉を正しく理解しないと、人生をたんなる偶然ぐうぜん果実かじつとして、あるいは自然の法則に従う奴隷どれいとして理解してしまうことがあります。
  • しかし、人間の心は愛し、愛されるようにできています。それゆえイエス様は、摂理とは自然の法則だけではなく、私たちの人生を導き、ともにあゆんでくださる神様の無限の愛のことでもあると教えています。

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