- 今日の福音書は、英語でプロビデンスと言われる「摂理」について語られています。この「摂理」の「摂」という最初の漢字は身代わりのもの、代理のものを意味します。そして二番目の漢字の「理」は論理を意味します。つまり、「摂理」とは「身代わりの論理」、つまり、自分自身のものではなく、他者から受け取ったものという意味になります。だからこそ、この言葉はその起源から、自然の法則を指す言葉として使われてきたのです。自然の法則はわたしたち自身のものではなく、宇宙を創造したお方から受け取ったものなのです。
- しかし、この「自然の法則」という意味は、「摂理」という言葉を純粋に物理学者的な意味で解釈することにつながります。しかし、今日の福音書でイエス様が語るように、神様の摂理は自然の法則に支配されているだけでなく、神様の愛にも支配されています。「野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった」。
- この言葉を正しく理解することは、神様への信頼に満ちた人生を送る助けとなります。この言葉を正しく理解しないと、人生を単なる偶然の果実として、あるいは自然の法則に従う奴隷として理解してしまうことがあります。
- しかし、人間の心は愛し、愛されるようにできています。それゆえイエス様は、摂理とは自然の法則だけではなく、私たちの人生を導き、ともに歩んでくださる神様の無限の愛のことでもあると教えています。





