- 「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである」。この福音書を聞くたびに、この福音書は特に私たち、洗礼を受け、教会の中で生きているように見える私たちに向けられたものだと思います。私たちは「主よ、主よ」と言います。例えば、ミサの冒頭では、赦しを請うために3回繰り返します。しかし、この言葉を口で言うことと、実際に赦しを請うことは別のことです。この二つは一緒になるべきですが、いつも一緒になるわけではありません。
- そして、これがイエス様のこの言葉の意味するところです。私たちの信仰告白には、意志が伴わなければなりません。そして、そのような心のあり方こそ、御父のみこころの成就なのです。言葉も、行動につながる意志も、両方が必要なのです。ある女性はわたしに「夫が私を愛していることは知っているけど、いつか『愛していると』言ってほしいわ」と言いました。この男性には言葉が足りなかったのです。また、わたしたちは、よく「ごめんなさい」と言いますが、実際には、心の底から謝っていないことがあります。
- 神様は私たちに、口で言うこと、心で感じること、そして手で行うことの間で一致した生き方をするよう求めておられます。この3つがイエス様を土台としているなら、私たちの人生の家は堅固な岩の上に建てられます。そして、問題が起きても、倒壊することはありません。
- 私たちがこのような一致した生き方をし、イエス様を私たちの人生の土台とすることができるよう、神様に助けていただきましょう。





