Published On: 22 de mayo de 20240 words0 min read
  • 数年前、私はガンを(わずら)っているシスターに会いました。私は動画を撮るために彼女にインタビューしたいと思い、電話で話しました。会話の終わりに、私は彼女に「シスター、また土曜日に」と言いました。すると、彼女は「主の御心であれば」と答えました。
  • スペイン語ではこの表現はとてもよく使われ、使わなくても誰でも知っています。私も何度も聞いたことがあります。しかし、そのシスターがこの言葉を言ったとき、それは別の意味で心に(ひび)きました。彼女が病気であるということが、その言葉に今までに聞いたことのない深みを与えました。
  • そのシスターは、私たちが神様の御手(みて)の中にあることを分からせてくれました。人生は神様からの(おく)り物であることをより深く認識(にんしき)しました。そして、神様が私のために計画を持っておられることも理解しました。
  • だからこそ、第一朗読で使徒ヤコブは「主の御心であれば、生き(なが)らえて、あのことやこのことをしよう」と言いました。
  • 私たちは神様の御手の中にあることを自覚(じかく)しているでしょうか?主の御心であれば、私は生き永らえて、日本語を学びたいと思います。へへへへ

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  • – ミサの始め 皆さん、ようこそ。私にとって非常に重要(じゅうよう)なこの日(ひ)にお集まりいただき、ありがとうございます。10年前のこの日、私は神様からのプレセントを受け取りました。神様は私をキリスト教の司祭として召(め)されたのです。司祭になりました。日本に来たので、司祭であることは私の仕事ではないことを、日本語で説明しなければなりません。司祭は仕事ではなくて、神様のために尽(つ)くすという神様からの召命(しょうめい)です。それは私の人生に意味を与えています。そして、司祭が行うすべてのことの中で、一番大切なのはミサです。ですから、この日を祝うために、ミサを捧げたいと思います。そのあと、一緒に昼食をいただきたいと思います。 お集まりいただき、ありがとうございました。